なぜ失敗してあの世に逃げる経営者に男性が多いのか?本当にそうする必要があるのか?
ずっと不思議だったことがある。なぜ自殺する経営者はいつも男性なのか?もちろん全てが男性とは言わないが、女性に比べると、どうも男性が多い。
単に経営者数が男性の方が多いから?
それとも生物としてのか弱さ?
バブルがはじけた頃に増えた、男性経営者の自殺。経営がうまくいかなくなって自殺をするという話だ。責任をとる、死んで詫びる、というような、切腹的な意味があるそうだ。借金で首が回らなくなり、家族や従業員に迷惑をかけた重圧に耐えられなくなっての、止むに止まれぬものだという。
しかし、なぜ死ななければならないのだろう。『人に迷惑をかけた』ことが『死ぬ』理由になるのだろうか。その発想が本当に不思議でならない。わたしが女だからかもしれないが、本当に死ぬほどのことだろうか?といつも思ってしまう。
自殺というと、しばしば混同されがちなのが、大人のウツやティーンエイジャーによる自殺だが、経営者の自殺は、これとは根本的に種類が違うように思う。
ティーンエイジャーというまだ未熟な子どもが、精神的に追い詰められたときに、とる行動は限られている。自分から立ち向かうか、まわりの大人に相談するか、ガマンし続けるか。そのどれもできなかったときに、死という悲しい選択をする。彼らはそれしか方法を知らなかったからだ。
ウツの大人が死んでしまうのも、極端なエネルギー不足が原因だ。彼らは生命を維持するのが困難なくらい、生命力(エネルギー)が不足してしまっている。その理由は仕事や人間関係など様々だが、彼らもまた、自分の価値を感じられなくなってしまっている。
しかし経営者の自殺はどうだろう?一代で自分の会社を立ち上げるような経営者は、熱い思いを持ち、エネルギッシュな人が多い(二代目や三代目はその限りではない)。生きるエネルギーは充分にある。なのになぜ死ななければならないのか。それが冒頭に述べた、「責任をとる」「死んで詫びる」「死んで訴える」というような理由だ。
※「経営者の自殺」の中でも、ウツ状態を経て自殺に至るケースは「ウツの大人の自殺(生命力不足によるもの)」とする。ここでいう「経営者の自殺」とは生命力溢れる経営者による自殺を指す。
切腹して終わり?
もう亡くなってしまった方は仕方がないと思うけど、これから死のうとしている経営者の方に言いたいのは、「死んだら責任がとれない」ということだ。もちろん詫びにもならない。だって今は平成だよ?切腹で責任が取れる時代ではない。あの世から自然に迎えがくるまでは、まだやるべきことがあるってことなのだ。だいたい残された人たちはどうするんだ?追い詰められてあの世に高飛びなんて、経営者が絶対やっちゃいけないことだと思う。ネズミだって追い詰められたら反撃くらいはするものだ。
中小零細経営者に厳しい国ニッポン
確かに日本は経営者に厳しい国だ。特に中小零細経営者にとっては。事業に失敗したら再起不能になるほど叩きのめされることもある。
でも、そもそもただでさえ難しい経営という道を選択したのは、自分ではなかったか?山も谷もあることを分かっていたはずではなかったか?
物乞いになっても、みっともなくてもいい。恥をさらしてでも生きる。それがこの日本で経営者という険しい道を選択したものの責任。家族のためとか、従業員のためとか言いながら、自分ひとりであの世へ逃げたら、残された人にそれこそ辛い思いをさせることになる。
あの世へ高飛びを検討中の経営者へご提案 その1
死ぬ勇気があるなら、いっそのこと「どん底まで落ちてやる!」と、腹をくくってみる。どん底まで落ちて、悪あがきをやめたとたん、ふっと突破口が開いたりするもんだ。力が抜けて、ひらめきが降りやすくなるからだ。そこまで行っていないなら、まだまだ大丈夫。
あの世へ高飛びを検討中の経営者へご提案 その2
これを機に自給自足のゼロ円生活に切り替える。特に山暮らしがオススメだ。リフレッシュできるし、野生のカンも取り戻せる。なにより自然と寄り添う暮らしは気持ちがいい。お金は大事なものだけど、あんたの命はもっと大事だってことにも気づけるだろう。
あの世へ高飛びを検討中の経営者へご提案 その3
世の中には、どん底の経営者のために、経営の立て直しを専門にしている税理士や、利益度外視で人助けしている弁護士がいる。探せばいるんだよ。なのに探す手間を惜しんで安易な自殺に走る?困難に挑戦し続けるのが経営者のはずなのに?
最後に
『収入は会社員時代の10分の1、苦労は10倍になる。』これを聞いてワクワクするなら独立向きだっていうけど、そのとおりだと思う。
経営者で成功するのは10人中1人っていうけど、そのとおりだと思う。
だから挑み甲斐があるんだとも思う。
経営者なら、カネは使っても使われるなよ、ホトトギス。
死んだら、終わりだよ。なにもかも。
しぶとく図々しく、生きて責任を果たしましょう。
やりたいことやったからもう生きててもつまらなくなっています。
何やっても自己満足の延長なのでなんかつまらないのです。
世の中の富を奪ってるみたいだし、生きてるだけで人間以外も含めて他者から奪ってるし。
今までの償いとして労働者になる勇気もない。労働者になれても、植物みたいな生産者になれない。
お金稼ぎ以外出来ない事だらけで生きていたくない。というか生きてて申し訳ない。
貧弱な精神を持っていると思っていて、死の恐怖を克服するために死ぬのも悪くないと思ってる。
男は救いようがないバカだから自殺しやすいのだと思う。
価値観、考え方の相違と思う。
宗教が違えば、いがみあったり殺し合ったり。
死ぬな、の根本は収奪する側に飼いならされているから、あることで
自己保存から解放されたい欲求で死へ向かうのは当然。
収奪する側される側の存在が認知出来れば、する側になろうとする、
生きるのがバカバカしくなるのは人それぞれと思う。
しまださんに共感します。
俺の場合は経営がうなぎ登りのなか、役員だった妻との確執が埋まらず事業を断念せざるを得ませんでした。
順序が他の方と違いますが、ある程度の贅沢は経営前に経験してます。
だからお金だけを得るために、すべてを差し置いてお金を優先させることの愚かさも知ってるつもりです。
妻との幸せのためにはじめた会社でしたが妻との関係は悪化し続けました。ですから覚悟を決めて事業を断念する選択をしましたが。
現実は厳しい。派遣で働きながら新たなチャンスを探してますが簡単にはいかない。
それは苦しい世界です。
今では何をしていても、つまらなく、くだらなくしか感じません。
生き恥を晒すくらいならいっそのこと。
ただ主さまの仰ることももっともです。
経営していたときは、それだけに邁進できたので、休みがなくても楽だった。
いまはあらゆる考えや価値観が俺を苦しめる。